| 日本人のくせに日本人のアーティストについてはあまり知らなかったりします。だから、外国の方とチャットしてて、「YMOとか大貫妙子が好きだ」とか言われても、全然ちゃんと返事が出来ない。「嗚呼、貴君は私以上に日本人ミュージシャンについてご存知だ」とか(英語で)適当に返事をしている。向こうからしたら、もっとディープ且つ現地人でないと知らない情報等を求めての発言だろうから、その後の会話は「……」「……」となりがちだ。
ただ、ネットを通じて薦められた日本人アーティストは割りと積極的に聴くようにしている。特に斉藤哲夫
unofficial siteを主宰されている日本少年二号さんには色々なアルバムを教えていただいて、大変感謝しています。
そう、斉藤哲夫さんなのですよ。はっきり言ってその名前を挙げられた時、どこの誰なのやらさっぱり分かりませんでした。全然分からないまま銀座HMVで『GOLDEN
J-POP/THE BEST 斉藤哲夫』を購入。そのフォーク然としたジャケにやや不安を感じながら聴いたら、「お、これいいね!」って感じで、「お、聴けば聴くほどいいね!」って感じで、「聴いても聴いてもこりゃいいね!」って感じで聴きまくりました。
まあ、その時点で斉藤哲夫氏が僕の世代では知らない人のいない「いまのキミはピカピカに光って」(注1)の人であり、宮崎美子であり(注2)、ミノルタ・エックス・セブンだと気づいてなかったのですから、随分失礼な話ですね。すいません。
(注1)この曲は作詞:糸井重里、作曲:鈴木慶一とのこと。
(注2)その後ラッパーとして活躍。「ワッタシはとっても料理がうまいの!」(曲名不詳)で一世を風靡した。同時期に活躍したラッパーとしては中井貴一が挙げられる。
私が日本人のアーティストに今一なじめきれない原因はその音楽性の他に、歌詞問題が挙げられる。
まあ、これはあまり普遍的な問題ではないと思うのだけど、「音楽が聞こえる前に歌詞が聞こえてしまう」のだ。根っから洋楽人間なのですね。聞こえてしまう歌詞が気に入れば問題ないのですが、正直言って「そんなこたあ、どうでもいい」と思うものが多いような。
斉藤哲夫氏の曲は「歌詞」と「音楽」がほぼ等価値にバランスよく耳に届く、私にとっては非常に希有な日本人アーティストです。
例えばポール・マッカートニー(注3)は稀代のメロディー・メイカーとされていて、実際それは論を待たないところだとは思いますが、彼のメロディーの秘密は単にその旋律にあるだけでなく、メロディーに合う響きの言葉の選び方(注4)、メロディーと声質の調和、歌唱法との調和にもあると思う。だから時には他の人が彼の歌を歌っても、甘ったるいばっかりで曲の輝きが失われてるときもある。
(注3)最近、髪型が大幅に変わった。どうなっているのだろうか。
(注4)単に響きが合ってるだけで、よくよく聴くと目が回ってしまうほど下らない歌詞も多い。
斉藤哲夫氏の歌も、明らかに同じことが言えると思うのですよ。このメロディーに言葉を無理なくのっける独特の歌唱法はかなりワン・アンド・オンリー。メロと声が溶け合ってしまっていて、どこからどこがメロディーの魅力なのか声の魅力なのか意識させない。加えて言葉選びもそこに完全に溶けこんでしまっている。僕にとっては適度に意味が分かって、適度に意味が分からない歌詞である。
例えば、[2]の「MR.幻某氏」なんか、魅力的なイメージの言葉が羅列されているが、全体的には(僕には)全く意味不明です。でも、すごい言葉使いのセンスなんだよなあ。字面で書いてもあまり意味がないかもしれないが、
♪君の窓をたたく音がする
オー ここ ここ ここ まで お入りよ
「ここ」と表記したけど実際には「クゥココッ」と発音している。ゆえに「ここ」という意味と同時に「窓をたたく音」の擬音にも解釈できる。っていうか、よく分からないのですよ。分からないけど、言葉の響きが心地よいのです。人称表現もはっきりしないものが多い。(注5)
(注5)「擬音の多様性」「掛詞」「人称表現の省略」と考えてみると日本文学の特色をそのまま受け継いでるという説もある。というか、そういう説を今思いつきました(笑)。
さて、このアルバム、まず、バンドの紹介で始まる[1]、そのリプライズでもある[15]で終わる体裁というのは、『サージェント』を思わせる。そしてLPのB面にあたる後半ではA面での曲が各所で顔を覗かせ、それをストリングスを使ったアレンジ(注6)で結びつけている辺りは『アビー・ロード』的。
ただ、そういう仕掛けの面白さを越えて、一曲一曲が素晴らしい。先に挙げた[2]や日本少年二号さんが推す[6]は文句なしの名曲。ほぼ、完璧なポップ・ミュージック。
「愛しのヘレン」や「ハイ・ハイ・ハイ」を思わせるプリティーなロックン・ロール[3]も大好き。アコースティックのグリスが美しく、ポール・マッカトーニー風の「タップ音」(注7)が隠し味に使われている[9]も「小品」という感じでいい。メドレーっぽく[10]につながるところは『ラム』っぽくってにんまりさせられる。
(注6)あえて「ストリングス」と書きましたが、実際にはアレンジャーの瀬尾一三氏の演奏によるメロトロンだと思われる。彼は編曲家/作曲家としてアグネス・チャン、加山雄三、あのねのね、木之内みどり、岡田奈々、中森明菜、河合奈保子、森川美穂等、とにかく大量の仕事をこなしている。
(注7)「ブラック・バード」「マーサ・マイ・ディア」「プット・イット・ゼア」などに使われている楽器によらない小さなリズム音。「ブラック・バード」は靴で床を踏む音といわれている。「プット・イット・ゼア」は体中を打楽器として叩いて音を出している様子がビデオ「フラワーズ・イン・ザ・ダート・スペシャル」で見ることが出来る。
と、大量の「ビートルズ用語」を使用してこのアルバムの説明をしてしまいましたが、正直、忸怩たるものもある。これらの素晴らしい楽曲を、物まねやコピーのレベルを遙かに超えて「日本語の歌」で実現した斉藤氏の才能を矮小化してるようなところもあるのと思うのですよ。実際。そこら辺このページの限界であり、私の力のなさです、すいません。(注8)
(注8)言い訳が多いのもこのページの特徴である。
ところでこのアルバム、曲名を見渡してもらえば分かるとおり、トータル・テーマは「たぶん、もうすぐ、春」。そう思うと「MR.幻某氏」の歌詞の意味が解けるような気もするのですが…、やっぱ分からないです、僕には。そこが、好き。(うらわ) |